トップ >> 葬儀は親族のために行う

葬儀をする目的のひとつ

葬儀をする目的のひとつに、「世間体」が挙げられるのではないかと思います。通夜に始まり葬儀をして初七日になり、追悼法要が延々と続くこの一切を、好んでやりたがる人間は愛に満ち満ちていると思います。やりたくなかったとしても、やらざるを得ないのです。特にそれが田舎、高齢となれば顕著になるのではないかと。我々に行動を命令するこの世間とは何者なのか。日本がアメリカと開戦するにあたって、惨敗することは誰の目にも明白でも、どうしても「空気」に抗えなかったという話もあります。私たちは何によって突き動かされているのでしょうか。

世間とは、個人である

葬儀を行うのは、やらないと世間様に顔向けできないから。香典を用意し喪服を着てといった葬儀のマナーは、得体の知れぬ何者かによって強制されているのです。太宰治の人間失格に、「世間というのは、君じゃないか」という一節があります。不道徳を続けていれば世間からの鉄槌が下される、そんな友人の言に脅かされていた主人公が思いついたことです。結局のところ世間などというものは存在せず、個人と個人の関係に過ぎないという旨です。つまりはあなたが許すか、許さないかというだけの話なのです。なるほどそうかも、と私は思いました。

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